うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

希望の喪失が悲しみをよぶ

なんでも分析のネタにしてしまう性格の私ですが、最近は悲しみに浸っているので、悲しみの研究が最近のホットなテーマです。

 

喜怒哀楽と呼ばれるように、人の感情はいくつかに分類できます。

そのうちの悲しみの感情は、喪失に遭遇すると感じるとされています。

 

だから、

大事な物や人を失ったときに悲しみを感じます。

それから、

この先、未来がないなとか、もう無理だなとか思ったときも悲しみを感じます。

 

最近私がよく感じたのは、落胆したときの悲しみでした。

職場や、職場の同僚、取引先、家族などが、期待通りじゃないときに、もう期待するのは無理かなと思ったときに、悲しみを感じていました。

 

さてここで1つ問いが立ちます。

落胆して心にぽっかり穴が空けば悲しくなるのは分かるけど、それは一体私は何を喪失したことになるのか?

です。

あれやこれや考えてみると、腑に落ちる答えにたどり着きました。

 

喪失したもの、それは希望でした。

希望の喪失。それは「未来に喜びや楽しみが訪れる機会(可能性)の喪失」です。

私は、落胆した相手と一緒に喜ぶ機会(可能性)が、この先もうホントになくなってしまったんだということに気づいてしまったので、悲しみを感じていたのでした。

有り体に言えば、職場や、職場の同僚、取引先、家族などに希望を持てなくなったからでした。

 

実はこれは、

子どもの頃に、親に対して抱いた思いです。

そして、

子どもの頃に、関わる大人たちに対して抱いた思いでもあります。

究極、

自分の人生に対しても。

あぁ、ホントにもうダメなんだぁ。

と、心の中でつぶやいたときの思いです。

 

こんな風に、

子どもの私は、親や大人たちそして自分の人生にひどく落胆して強い悲しみを抱いていたのでした。

抑うつ気分・メランコリック気質になるのもうなずけます。