最首悟さんの『いのちの言の葉 やまゆり園事件・植松聖死刑囚へ生きる意味を問い続けた60通』(春秋社 2023)
を読んでいます。
本稿の表題は、前書きから引きました。
著者は生物学・社会学の学者です。
ダウン症で知的障害のある三女の星子さんの介助をしながら奥様と3人で暮らしています。
相模原のやまゆり園事件の報に接し、表題のような気持ちを抱いたのだそうです。
そして植松死刑囚と手紙のやり取りをしようと決せられ、返事もないまま60通出し続けたのだそうです。
本には全部の手紙が掲載されています。
私の期待としては、植松死刑囚とのやりとりで心の機微が明らかになることでしたが、読みだすと著者の一人語りばかりが目立ちます。
一方的でありかつ教育的な。
まるで大学教授がいちいち世のことわりを小学生に噛んで含めるような。
そう、あまりにも平易な語り口で物事を一つ一つ噛み砕いて論をすすめるので、相手をバカにした印象すら持ちます。
植松死刑囚を子供のように扱っている。
教育者がやりがちな、相手を小ばかにした態度に私はいささか憤慨していました。
でも、
それにしては細かく丁寧でとてもわかりやすい。自分が生涯をかけて学んだことを懇切丁寧に小学生にでもわかるように伝え続ける。相手の反応もないのに。
その忍耐強さに読み手への愛情すら感じました。
はたして八つ裂きにしても足りないほどの相手にそこまで優しい思いを寄せるだろうか?
私は、複雑な気持ちを抱いたままページを繰り続けました。
そしてある時ふと思い至りました。
これは我が子星子に語りかける口調ではないか?
と。
自分の生涯を通して身についた学問知識はその人の貴重な財産です。
それを言葉にして伝えるということは財産の移譲です。
自分の大切な財産を手渡す相手は最愛の人でしょう。
私は思いました。
もし星子さんが、「お父さんあの人なんでこんなひどいことしたんだろうね。怖いよね」
と問いかけたとしたら、著者はこの手紙のように答えたかもしれないなと。
「あのね、星子、人はね・・・」
と自分が有するあらゆる知見を全部移譲する覚悟で教え始める。
人として大切だけど難しい内容を優しく優しく一つ一つかみ砕いて丁寧に伝えていく。
反応は返ってこないとしても。
そして、
それを通して独りよがりの未熟な植松死刑囚を教導しようとしてるんじゃないか?
であれば、
読者の私としては、著者の手紙の相手・聞き手に、星子と植松死刑囚の2者を置いて読み進めるが最良ではないか?
加害者と被害者という対極の立場の2者を相手に人の世の大切なことを説く手紙。
それを私は今読んでいる。
あるいは、我が子星子さんに語りかける横に植松死刑囚を置いて講義する生物学・社会学者。
の話をはたで聞いている読者の私。
こういうスタンスなら不快な気持ちにならずに割とスムースに読み進めていけそうな気がしてきました。