今回は、『社会を扱う新たなモード』(飯野由里子・星加良司・西倉実季 生活書院 2022)の感想をつづります。
障がい者などの「マイノリティが経験する不利や不便さ、生きづらさの原因」について「障害の社会モデル」の視点から、手厳しく社会を批判する一書です。
私たちが問題なく使っている社会常識のこれやあれやがすべて差別的な思想が基盤となっていることを、これでもかこれでもかと明らかにしていくので、一ページ読むだけでも疲弊します。ましてや一冊読了となれば身も心も困憊します。
そんな読み応えのある本でした。
とはいえ、読めば健常者に代表されるマジョリティが自分たちが暮らしやすいように社会を設計し、運営してきたかがよく分かります。痛いほどに。
その社会には、マイノリティの意見や希望は取り入れられていません。マイノリティはまるでこの世にいない人たちのように、社会全体の意識から除外されています。
だから、マイノリティが社会でやっていくのがとても難しい!
とするのが障害の社会モデルなんだそうです。
私たちは、実はそんな社会をフツーと思ってそこでフツーに生きているようです。
・・・反省・・・。
20年ほど当事者活動などしてきた私ですが、まだまだ認識が甘かったと痛切に反省しております。
そんな私が強く共感する章がありました。
”第5章 社会的な問題としての「言えなさ」”です。
当事者活動の基本は、自分の困り感を「伝える」「言う」ことなのですが、
「伝える」「言う」に際しての、一番の問題は「誤解」されることなんです。
例えば、当事者の困り感を聞いた人が、
腫れ物に触るような態度になったり、負けるな頑張れと尻を叩かれたりします。
他には、
困り感の程度をはかり損ねて、
それぐらいの困り感は私にもあるよ。気にしないで生きていこうよ。
と無責任なアドバイスされるなど、軽く扱われることはざらです。
そんなこんなで、伝えたり言ったりしても、結局いわゆる「分かってもらえない」状態がこれまでと変わらず生じるのです。
とりわけ、メンタル系の困難や身体の内部の困難という「見えない障害」はこの傾向が強い感じです。はっきりと視認できないから想像で理解してしまうのでしょうね。
そして、
そんな社会なので、次第に「言えなく」なってくるのですが、それを知った社会は「なぜ言わないんだ!」とばかりに、「言わない」当事者を「言える」状態にしようとします。
最近はやりの「助けてが言えない」に関する運動がこんな感じですね。
つまり「言えない」を「言う能力がない」という機能障害と捉えて当事者を変えることで障害を解消しようとするのですね。
当事者が「言えない」のは「言えない社会」のせいだと考えて、そんな社会を変えるのが社会モデルなので、筆者はこの点を激しく撃ちます。細かく辛辣に。
マイノリティの意識がある人は、必読です。
マジョリティの意識がある人も、必読あれ。