うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

これといってやりたいこともない人生を生きる

ひきこもり関係で活動していた都合で、わりと長いこと自立支援に関わってきました。

自立生活の基本は、自分が何がやりたいか? なので、

これを発見し、社会と折り合いをつけながらやりたいことを実現していく手助けをするのが自立支援です。

 

さて、私についての「自分がやりたいこと」です。

子どもの頃から半世紀たったいまでも、いまだに自分のやりたいことが思い浮かばず頭が真っ白になります。

その代わりというのもなんですが、人のやりたいことを聞くとがぜん頭が回転しだして次から次にアイデアが湧き出します。

これ、なかなか面白い性格なんですが、そのときの自分の思いに心を寄せると、少しばかりしんみりしてしまいます。

その思いとは、

「俺と違って、君たちには希望があるのだから」です。

だからこれまで、やりたいことのある人の手助けをしてきました。

裏を返せば、私は将来に希望を持っていないということです。※未だに。

 

こう考えてきたら、ふと懐かしい言葉を思い出しました。

「学習された絶望感」です。※マーティン・セリグマンら1967

人は、何をしても何があってもどうにもよくならない八方塞がりな状況では、人生に降参してしまうのです。

私は、子どもの頃から絶望の中を生きてきたんだなぁと改めて思いました。