親子関係が悪いのに、なぜ自分は非行に走らなかったかが私の長年の疑問だったのですが、その理由をふと思いだしたので、今日はこの辺りのことについて思いをつづります。
※実のところヤンチャしてた宗教家の跡取りは少なくないのです。
この(過酷な)環境を生きのびるためにどうすればいいか?
あれやこれやと知恵を巡らすのが日課だった私は、もし自分が非行をしたら? についても考えました。
特に、非行をした後についていろいろ考えを巡らしました。
非行をしたその後どうなるか?
予想がつきます。
先生や警察や地域の大人たちから、説教を喰らうだろう。
とりわけ犯罪したら、こぞって宗教者がやってきて説教するだろう。
そして、罪意識を激しく刺激して、強く強く改悛と宗教することを求めるだろう。
それをやらなければ地獄に堕ちると諭される(脅される)だろう。
そう予想した私は、
子どもの罪を暴くことには熱心だけど、親の罪には一切目が向かない大人たちの手にぜったいに落ちるわけにはいかない!
親たちにそんな隙を与え、支配のチャンスを渡すわけにはいかない!
親たちの思うツボにはならない!
そう考えて、
究極の解決策として
一切問題を起こさない!
と決断したのでした。
そして、万全を期すために、生きていくのに必要最小限のこと以外なにもやらないようにしてきました。
問題を起こさないためには、余計なことをしないのが一番と考えたからです。
あらゆることを如才なくほどほどにやる姿勢はこの時生まれたのでしょう。
こんな風にして私は大きくなったのでした。
それは、
ひたすら、とっ捕まらないように! と必死に(怯えて)生きてきたということです。
どんほど怯えて生きてきたんだと改めて思います。
幼児決断の強さを身をもって実感しているのでした。