オモシロすぎてページを繰る手を抑えられず老眼にむち打って読んだSF小説『三体』三部作の2作目の思いをつづります。
2作目では、SF界では有名なアルファケンタウリ星系の宇宙人が圧倒的な科学軍事力でもって地球を侵略しに来ることがハッキリした後の地球人が全地球的に動揺するさまが描かれています。
とはいえ、実際に侵略しに来るのは450年後なので、地球人類はそれに向けて世代を超えた迎撃準備をするのですが、敵に先手を打たれ科学技術の進歩が頭打ちになってしまいます。
これにより、地球人は絶対に勝てないことが確定してしまいます。
つまり、450年後に地球人類は滅亡に瀕するのです。
以降、地球人は未来の滅亡が確定された人生を世代を超えて生きることになります。
この絶望的な状況で人類を450年後も生存させるために世界の人々は悪戦苦闘します。
近年の一般的な人生観は「明日はもっと良くなる」みたいです。
人生訓としてよく見聞きする「やまない雨はない」も「人は可能性の塊だ、可能性に開かれている」も「神は解決できない問題は与えない」も問題が解決した明るい未来を設定しています。
小説の中の人類もこの人生観でした。今日より悪くなる人生、全く希望していないゴールに向かって生きて行かねばならない状況は想定していません。
ところが、450年後に人類滅亡が確定してしまいます。
言うならば人類は詰んでいるのですが、このゴールに向かって自分はどう生きればいいのか?
ものすごく哲学的な問いかけです。作中の全人類の一人一人が向き合ったように、読者も向き合わざるを得ません。
なんて本でしょう!
さて、読者の一人である私について言えば、これはすでに経験した状況です。
既述したように私の人生のゴールは決められていました。
子どもの頃に、私は自分の人生がすでにもう詰んでいることを察していました。
だから、それまでの間、自分のためにやれるだけのことをやろう。
そう思ったものでした。
思い返せば、学校の勉強も、友達づきあいも、趣味の楽しみも、格闘技の習得も、その他いろいろやりたいことをある程度で切り上げて焦るように次のやりたいことに取り組んでいたのは、このタイムリミットを意識していたからでしょう。
急いで! 無駄なく! 次が待ってる!
どこかに逆転の一手があるかもしれない。
そんな思いでした。
それはまったく三体世界の人類と同じです。私が、本書にのめり込んでしまったのもうなずけるのでした。
私の場合、結局人生をかけて探し求めた逆転の一手は見つからず、既定の運命を引き受けるだけになったのですが、その結果、これまでの苦悩が軽減しているのが不思議です。苦難をしのぎきったと言うことでしょうか。
そんな私の今の悩みは、余生をどう生きるかです。
全く人生計画を立ててなかった私は雨がやみ、可能性が大きく開かれた状況に大きく戸惑っているところです。
そんなこんななので、とりあえず三体の三作目を読んでいます。