長いことひきこもり界に関わってきましたが、ひきこもり界ではなぜか「当事者体験談」が盛んです。
本人の声が届きやすいという理由から、支援研修会や啓発講演会、テレビやネットでも当事者の生の声がとても重宝されています。
私としては、どうやっても当事者が「さらし者」になってしまうので、「当事者体験談」は基本的に反対の立場です。
先日、当事者をさらし者にする場面構造に出くわしました。
主催者である支援者たちは最大限の配慮をし当事者たちも納得ずくなので、忍の一字で辛抱しました。
そんなことから今回は、この「当事者体験談とさらし者」について思うところをつづりたいと思います。
私の考える「さらし者」というのは、多くの人の目にさらされる者という意味です。
ですから、
ハリウッドセレブが映画撮影時の体験を話す記者会見も、犯罪被害者が被害体験を赤裸々に話すの記者会見も、いずれも対極の感情をもたらす体験談とはいえ、私にとっては当事者がさらされているとなります。
思索を早めるために、ひきこもり当事者体験談の対極に位置する当事者体験談を引き合いに出して考えてみます。
大谷翔平選手の記者会見です。
大谷選手の記者会見や自宅で愛犬と戯れる姿をテレビで見て、
あぁ、さらされてるなぁ
と思う人はいないんじゃないでしょうか。
私も思いません。むしろキラキラしていてまぶしいくらいです。
※実際は、さらされているのに!
きっと、自分の実績にもとづいて、世界中の人々からの誉れや羨望のまなざしにさらされるだからでしょう。
一方で、被害者や病気障害当事者の場合はどうでしょう?
なんとなく、さらし者になっている感じがします。
きっと、自分の身に起きた悲劇、好ましくない事態、望ましくない出来事によって、図らずも世間の耳目を集めることとなったからでしょう。
そのまなざしには、多分に憐憫や同情が含まれています。
二つのさらされ方の違いは、
努力によってもたらされた誇らしい成果をさらすのと、
不可抗力によってもたらされた尊厳を踏みにじられた結果をさらす
の違いのように思えます。
前者は、己の力と自信をさらし、後者は己の無力と痛みさらすことになるでしょうか。
前者の感情は喜びで、後者は恥の感覚と言ってもいいかもしれません。
どうすれば体験談を語る当事者が前者になれるでしょうか?
答えは明らかに思えます。
その苦痛の体験から得られた人類に貢献できる何かや、その経験を経て得た誇りや自信を披露することです。
しかも、起承転結や序本結論でしっかり組み立てられた当事者語り=プレゼンとして。
我が身に起こった悲劇ですら糧にして、しかも人類に役立つ形に整えて提供する行為はとても価値あることです。誉れとなる偉業です。
それを達成したとき、当事者に到来するものは失われた自己への誇りと周囲からの賞賛でしょう。
あたかも、実は大変な苦労して今の地位を築いた大谷選手のように。