うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

トランプ前大統領ってなんでも所有したいんだなぁ

仏教の教えは、私たちが苦しむのは執着しているからで、とりわけ何かを所有することに執着しているとひどく苦しむので、だから不必要に所有しないことを推奨します。

このため、仏教が生きる指針になっている私は所有について敏感になっているのですが、ふと、

トランプ前大統領って所有したがりなんじゃないか?

と思い立ったので、今日はそのことについてつづります。

 

報道の限りですが、トランプ前大統領の口癖は「盗まれた!」みたいですね。

自分の票が盗まれた! の主張を受けて支持者が多数議事堂に乱入たこともあります。

きっと、自分が所有しているべき票が手元にないので、きっとこれはバイデンたちが盗んだんだと思っているのでしょう。

他にも、アメリカの利益を盗んだとか、白人の利益を奪ったとかと、自分たちが所有していたいろいろなものを誰かに「盗まれた!」としきりに不満をぶちまけています。

これに同調している人も多いですね。アメリカの半数が!

 

トランプ前大統領ってあらゆるものを所有していたいんだなぁ、でもそれが叶わずに不満や怒りが収まらないんだなぁと思います。

そもそも、前大統領はアメリカを国民もろとも所有して、そして自分の思うがままに支配したいみたいです。

でもそれはさすがにムリスジのこと。叶わぬことを望むと不満がつきないのに。

 

さて所有には、所有物を思うがままに扱える特権もついているとか。

私は、親からモノ扱いされてきたのですが、それも親が私のことを自分の所有物だと強く確信していたからでしょう。

それに反発して、中学の頃から数十年親の意向にはすべてノーと言ってきたのに、嫁さんをあてがおうとしたのにはあきれました。

いやいやいやいや、こんだけ(モノ扱いに)反発してるのにまだワカランのかい!?

私がまだ思うどおりになると思っていたのですね。

親はその考えから抜け出せなかったようです。

それで、

まったく自分の思い通りにならない私を、文字通り悪口雑言面罵しました。

都合、仏教の目指すところとは真逆の穏やかならざる心持ちで暮らしていました。

この様子、今のトランプ前大統領と重なります。

 

こんなことからどうやら、

人は所有の罠に落ちると、心穏やかな暮らしは所有できないんだなと思うのでした。