私の片親は、困っている私を見かけると、よく私のことを分析をしていました。
分析は、いつも2つのパターンに集約されました。
お前は、ポンコツだからできない。
できないお前は、ポンコツだ。
です。
私が困っているのは、私のポンコツさが原因であり、かつそんなことで困る私はポンコツだという結論です。
まるでポンコツのオンパレード!
片親は、これをせせら笑いながら私に伝えていました。
また、
片親は分析だけして助言も手助けもしない人でしたが、その理由も明らかでした。
ポンコツの私には何をやっても無駄だと思っていたからなのです。
今思い返しても、よくもまぁここまで我が子を侮蔑できるもんだとあきれて感心するほどです。
そこで私は、片親をこう分析します。
そうすることでなんとか自尊心を保っていたと。
片親は、愚かな私を面罵することで自分の凄さを堪能していたのです。
これは、
相手の価値を落とすことで、相対的に自分の価値を高める心理です。
でもそれは裏を返せば、
そうしないとならないくらい自尊心をひどく傷めていたってことなのです。
さらに私は分析します。
片親は、宗教指導者であったのに、自尊心は傷んだままだったと。
そしてそれは、
片親の心は宗教では救えなかった。
ことを意味します。
人は、トラウマを負うと援助の手を振りほどくと言われています。
きっと、片親は心の傷みが激しくて、救いをつかみきれなかったのだと思います。
いつもそこに救いはあったのに。
とても悲しく残念なことです。