片親が伴侶側の親戚を心底嫌っていたので、我が家では親戚づきあいはおろか、親戚の名すら口にすることが禁忌でした。
では、片親側の親戚の話ならOKかというと、これについても全く語らない人で、それは自分の親戚について批判的だったからでしょう。
とどのつまり、片親は親戚関係をすべて嫌悪していたのです。
このような家庭で育ったので、私はどこにどんな親戚がいるのが知りません。
血のつながりを知らない。と言ってもいいくらいです。
そんなこんななので、ご先祖様への思いも複雑です。
片親が嫌悪する人たちの先祖に、愛着の持ちようがありません。
ご先祖様が見守ってくださっているという説も、実感が湧きません。実際の親戚がそうであるように、ご先祖様が遠巻きに距離を置いているように思えていたからです。自分を嫌う家の者を進んで助ける人はまずいません。
こんな気持ちだったので、仏壇に向かってお経を上げるときは、いつも複雑な気持ちでした。私は、ご先祖様のイメージが湧かず、ご先祖様とのつながりが全く感じられないまま先祖供養していました。
そんな人間が、祖先崇拝を基盤とする日本の伝統宗教を継げるわけがありません。
片親は、自分の言動が子どもにどんな悪影響を与えているのか? まったく想像できなかったようです。
今はお盆。
今年からは少しつながりが感じられるだろうか?
悩みながら過ごしています。