ここしばらく、子どもや若者の支援領域では「助けて」が言えないとか、「助けて」と言わないという言説がよく見聞きされます。
苦境に陥っているのに、誰かに助けを求めることをしない子ども・若者が多くいて、その原因として本人たちのメンタリティや社会の思いやりのなさ等が指摘されています。
そのため解決法としては、本人たちには遠慮なくヘルプを出すことを勧め、社会にはおとなしめの子ども・若者にこそ積極的に関わることとされています。
でも、この論調、以前からなんとなく気になっています。
なんだか、助けてと言えない、言わない本人たちの責任や未熟さを強調している感じだからです。
というのも、
結局やることと言えば、本人たちを「助けて」と言えない言わない状態から「助けて」と言える状態にすること、そしてそれをサポートする温かい社会を目指すことだからです。
これ、逆上がりのできない子どもを、逆上がりができるようにするのと同じ発想です。
本人を変える。
これは病気を治す医学モデルです。
本人が病気だ異常だという発想にもとづいています。
ここが、私が気になっていたというか、気に入らないところなのです。
というのも、私は、
言わない言えないではなく、
知らない。
そんな人も多数いるように思うからです。
なにより私がそうだから。
そもそも、助けを求めることは誰かから教わらないとできないことなのです。
※ちなみに誰かを助ける行為は生まれたときから組み込まれているとか。
私は教わりませんでした。
だから、
助けを求めることを知りませんでした。
「助けて」という語句は私の辞書になかったのです。
こういうことから、識者の皆さんには、
「助けて」を言わない、言えない問題が一段落したら、
「助けて」を知らない問題も取り上げてほしいなと思っています。