不登校している人のうち、発達特性を持つ人は多くいます。
発達特性の影響で、学校に通えないほど学校生活が苦痛になってしまったのです。
そこで、
これをどう解決していくかというと、大きく2つの方向性があります。
発達特性を薄める方向性と、
学校が特性に歩み寄り、特性はそのままに学校生活を送れるようにする方向性です。
前者を「医学モデル」、後者を「社会モデル」と呼ぶようです。
一方で、学校教育は、子どもの変化・成長を求めます。
勉強やスポーツや集団行動が「できない」から「できる」に変わることを求めます。
これを「学校モデル」と呼んでみます。
個人の変化を望むので、「医学モデル」に近い発想です。
「学校モデル」と「医学モデル」
この2つは、個人が頑張ることが至高のガンバリズムです。
この2つの世界では、病に負けないとか、闘病とか、苦手教科の克服とかって、個人が頑張る際の言葉をよく使いますね。
一方、後者の「社会モデル」では、苦痛は社会との関わりの中で起きると考えます。
そして、もし社会が今と違っていれば、苦痛はないだろうと考えます。
具体的には、社会がどう変われば個人の苦痛が減るか? を考えます。
例えば、決まった時刻に学校に行かなくてもイイ。給食は残してもイイ。好きな教科だけやればイイ。自分のペースで勉強すればイイ。制服を着なくてもイイ。
という学校社会であれば、
睡眠困難があり朝どうしても起きられない、
ゆっくりしか食べられない、感覚が敏感なので苦手な食べ物はものは心底苦手、
興味のあることには熱心だがそうでないものにはまったく取り組めない、
などの特性があったとしても、
学校生活での苦痛がなく、それゆえ不登校しなくてもよくなるでしょう。
とはいえ、
登校時刻が決まっていない学校!
なんて、現実的でないぶっ飛んだ考えでしょうか?
実は、こういう考え方は国際基準なんです。
でも日本ではあり得ない話ですね。
だから、
「医学モデルでなく、社会モデルでやるように!」
日本は国連から勧告されています。
※「第1回政府報告に関する障害者権利委員会の総括所見」
参照サイト:
学校も、「学校モデル」から「社会モデル」に切り替えねばならない時代が来ています。
どうやら、
学校に子どもたちが合わせる時代は終わったようです。
それは、
学校が子どもたちに合わせて子どもたちの成長を支える時代の到来です。
こう考えてくると、
学校そのものが未熟なものを一人前に仕上げる「教育機関」から、その子の学びを支える「学習支援機関」への変化を強く求められているように思えるのでした。