上記の本を元に、アサーティブについて少しつづりたいと思います。
「私メッセージ」で有名なアサーティブは、ネット検索するとたくさん出てきます。
そのほとんどが、いい人間関係を作れるとか、相手を傷つけずに断れるとか、いい関係を築くのに役立つ技術が売り文句になっています。
でも私は、アサーティブについてちょっと違う印象を持っています。
アサーティブが主眼とするのは、私メッセージを使って私の気持ちや考えを相手に伝えることですが、
伝えた結果、相手がどういう反応をするかまでは問いません。
私の気持ちや考えをどう受け止め、どう判断し、どう行動するかは相手の自由だからです。
私を伝える。アサーティブはこの一事に集中する。
そんな印象を持っています。
というのも、
相手が私を誤解したままを見過ごさない。
本物の私を正しく知ってもらう。
だから、私は私に対する責任として私を伝えることをする。
アサーティブに触れるたび、そんな気概を感じるからです。
その気概はどこから来るのかと考えれば、
アサーティブは、そもそも言いたいことをいえずに自分の尊厳を軽く扱われる状況に耐えていた人に向けた技術だからかもしれません。
上記の本からは、弱い立場に甘んじていた人が、こんな状況はもう許さん! と一念発起して強い立場の人に自己主張(アサーティブ)する例がふんだんに登場します。
そこからは、
もし私の本音を伝えることで関係が終わるならしょうがない。
という強い意志を感じました。
それは、
私についての判断は完全に相手に任せる!
私の尊厳は私が守る!
いさぎよくて腹のすわった堅い意志です。
こういうことから私は思います。
アサーティブはいい人間関係を築くためではなく、自分の尊厳(人権)を守るための技術だと。