一般的に、脅威といえば自分が害を受けることへの怯えですが、
私の場合は、それにもまして自分が誰かにあるいは何かに対して、害を与えることにひどく怯えていたのでした。
最近、このことを再確認したのでその思いをつづりたいと思います。
心理学では、根拠のない強い思いは妄想とされています。
特に、うつを患うと罪業妄想、加害妄想といって、自分は罪を犯す人だとか誰かを傷つける人だとかと思い悩んでしまうことがあります。
でも、私のはそれとは少し違うのです。
私のは宗教的な根拠があったからです。
私が幼い頃ケガや病気をするとそのたびに、親は何かが祟ってるせいだとしていました。
そのため私は、
常に未知のまがまがしいナニカにまとわりつかれている感覚を持っていました。
その感覚は、
私が誰かをを心底憎むとそいつが怪我したり病気になったり、急に学校休んだり悪いことが起きたりしたことがしばしばあったことによって補強されました。
それで私は、
誰のことも憎まないようにしたし、そもそもあまり人と深く関わらないようにしてきたのでした。
そうして私は、
自分取り憑いているナニカが悪さしないように自分を抑えて生きてきたのです。
半世紀ほど。
この感覚をたとえるなら、ジョジョのスタンドが暴走する感じです。↓
存外私は、自分にまとわりついている得体の知れないナニカが、なによりも怖かったのかもしれません。
そうだから、
心を閉ざしてひたすら怯えて暮らしていたようにも思えます。
世の中に害を与えないように。
さて、
今では、どうだろう。まだまとわりついているだろうか?
それとも、
あの感覚は幼児特有の幼稚な呪術的思い込みだったのだろうか?
ときどき自問することがあります。
残念ながら確かめる術はありません。
もはやそれほど人を憎まなくなったからです。
でも、もしまた誰かを・・・と、考えなくもないけれども。