未来がどんより曇っていた私は、身体のケアに積極的になれませんでした。
健康になることに魅力を感じなかったし、そもそも健康な状態を知らなかったからです。
ところが最近は、ケアすれば日に日に健康になっていく自分の身体にときめきを覚えています。
何が起きたんでしょう?
今日は、このあたりの思いをつづりたいと思います。
これまでの私は、自分の健康を自分の未来のためには使えませんでした。
我が家では、健康であることは、労働力が高いということで、それはこき使っていいということになっていたからです。
つまり我が家では、
私が健康でいる理由は、親のためだったのです。
自分の健康が親に搾取される環境。
それが私の家でした。
なんだか、頑張って手に入れた成果を親に平気で横取りされる気分です。
だから、私は健康になることにあまり積極的になれませんでした。
加えて、そもそも健康を肌感覚で知らなかったことも健康に積極的になれなかった理由の1つみたいです。
私の家族は、家族同士いつもケンカが絶えず、暴力は茶飯事で、毎日呑み崩れる親とヒステリックにわめき散らす親のいる、何年かに1回は必ず誰かが入院するところの全員病気がちな、いつも変わらず不健康な人たちでした。
だから私は、そもそも健康な状態の人や、人が健康になっていくことを知らず、究極、物事はよい状態に変われるんだ(人は健康になれるんだ)という可能性すら知らなかったのです。
今、身も心も親から離れ、日々自分の体調が良くなってくることに喜びを感じています。
未来の雲が少し晴れて、健康になればその心と身体を自分のために使えるようになったからだと思います。
自分のケアをする。自分をねぎらう。自分を大切にする。
ということが少し分かってきた感じです。
そして、テレビなどでよく見聞きするところの、
健康になれば、やりたいことができる! の感覚も。