上記の本を読んだ感想です。
看護、介護、世話をする、手当てする。
一般的にこれらをケアと呼びますが、本書では、ケアを中心にしてそれに関わる人たちの声を記しています。
ときに世間との関わりから俯瞰的・歴史的な声を聴き、
ときにケアする人とケアされる人という対峙する立場の声を聴き、
ケアについて幅広く、深く考える一冊となっています。
印象に残ったことを記します。
昔から、ケアの担い手はおおよそ女であり母であり、
女や母が家族のケアをすることを前提にいわゆる男社会が成り立っていたにも関わらず、女や母たちの社会的権利は軽んじられていたのだそうです。
これは、ケアラーは社会の被害者だという声です。
その一方で、
近代社会は、自立した個人を社会人とするので、障がい者(ケアを受ける人)には居場所が用意されていない。
そこで、いざ社会に居場所を得ようと自立を試みるのだけど、その際の一番の障害はケアラーである母となるので、障がい者の自立は母からの自立となるのだそうです。
この場合は、ケアラーこそが加害者だという声です。
ここで目を転じて、ケアの構図について考えてみます。
上記の声はつまり、社会は女の自立の障害となり、女である母は障がい者・子どもの自立の障害となる構図から生じたと考えられます。
これは、権力者が弱者を支配する構図と一緒です。
パワーによる支配は暴力を生みます。
ケアラーは被害者にもなり、加害者にもなり得る。
ケアが慈愛の行為ではなく暴力にもなることを再確認した思いです。
もう一つ印象に残ったことがあります。
障がい者の自立に話になると、熊谷晋一郎氏の「自立とは依存先を増やすこと」がよく取り沙汰されて、氏はこの本でも語っていますが、
氏としては、社会が依存先となるように社会自身が自ら進んで変化してほしいという思いがあるようです。
依存先を増やすのは当事者の自己責任でやることだとして、知らんぷりをしたり待ちの姿勢でいたりするのではなく、もっと積極的に変化してほしいようです。
これを知った私は、
そんな意味もあるなんて知らなんだ。
という声を心の中で上げたのでした。