「生まれてきてくれてありがとう」
のメッセージは、多くの人から歓迎されているようですが、
私にとっては、見聞きするたびに気持ちが乱れる嫌なワードです。
実のところ私は、親から感謝の言葉をよく言われてきました。
ありがとう。助かった。
わりかし頻繁に言われていました。
でも、安易には喜べません。
それは、親がありがとうと言った理由が、私が親の「役に立った」からなんです。
もし役に立たなかったら、ありがとうはないんです。
親たちの望みどおりに上手にやれないと、役立たずって馬鹿にされることはよくありました。
「生まれてきてくれてありがとう」は、
子の存在そのものを歓迎して感謝する親の気持ちからのワードのようです。
存在してくれるそのことにまるごと価値を置いている感じでしょうか。
ところが、私の場合はそうではありません。
私の存在価値は、「利用できる」ことにあるからです。
利用できるから存在する価値がある。存在してていい。
親にとって便利な存在だからありがたい。
親にとって、私はそういう存在でした。
こんなことから、今でも暮らしの中で、
「生まれてきてくれてありがとう」を見聞きするたびに、
そりゃそうでしょ。便利な道具だものね。
と、突っ込んでしまう私なのでした。
心の中で。