うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

百鬼丸と同じ生け贄の赤子だったか

最近、アニメで「どろろ」を観るのですが、百鬼丸と自分がどうにも重なる私です。

そこで今日は、その思いをつづります。

dororo-anime.com

百鬼丸は、生まれてすぐ国主である実の父親から鬼神との取引の材料にされます。

父親は、国の繁栄と引き換えに赤子の百鬼丸を生け贄として鬼神に差し出したのです。

そうして百鬼丸は鬼神たちから体のほとんどの部位を奪われました。

生け贄としての役目を終えた百鬼丸は家族から放逐されますが、その後、心ある人に助けられ、長じて命がけで鬼神たちを退治するごとに奪われた体の部位を一つずつ取り戻していきます。

赤子のときに自分のほとんどを奪われた者が、自力で自分の心と体を取り戻していく。そういうお話です。

 

さて、どこが私と重なるのでしょう? 3つほどあります。

1つは、百鬼丸をまったく人として扱っていないところです。

百鬼丸の親は、生まれたばかりの我が子を畑でとれた収穫物のように鬼神へ供え、引き換えに自分たちの繁栄を享受します。このとき百鬼丸は物扱いです。

 

2つは、話の上では鬼神が喰った形ですが、実質は親や領民たちが百鬼丸を喰らっているところです。最終的な利益を受けるのは大人の彼ら彼女らだからです。

 

3つは、百鬼丸の親は、上の1、2を当の本人である百鬼丸に知らせず、自分勝手に実行したところです。百鬼丸は、自分の体、否人生そのものを親の都合で使い捨ての道具として扱われました。

 

ここで私のことです。

私の両親は、長年跡取りに恵まれませんでした。

跡取りがいなければ宗教施設がなくなってしまう危機が生じます。それは魂のよりどころを失う恐怖を伴います。

だから、両親や信者さんにはどうしても跡取りが必要でした。

 

こういうことから、私は生まれる前から一生の役目が決まっていたのです。

百鬼丸は鬼神の生け贄でしたが、私は宗教の生け贄にされたのです。あたかも両親の収穫物のように。

 

私の人生は、生まれた瞬間に既にもうあらかた奪われていたにも関わらず、親や信者さんたちは、その後も人生のそこかしこで、私の将来を奪っていきました。

彼ら彼女らは、跡取り以外の道を与えませんでした。跡取り以外の芽はことごとく摘んでいきました。そのやり方は巧妙で、自分が死んだら私に葬式を挙げてもらうという風に私の将来に期待をかけるというやり方です。

大人たちが子どもによってたかって奪い取る。そんな世界で私は育ちました。

 

このように、跡取りとしてしか自分の存在を認められず、跡取りとしてしか生きる価値がない私は、役に立たなければ捨てられる使い捨ての道具として扱われました。

 

そしてこのことは、一般世間の大人たちも是認していました。全員が私を跡取りとしてしか扱わなかったからです。私は、平穏に暮らす周囲の大人たちからも見捨てられていたのでした。

まさに、百鬼丸を生け贄にして、安寧をむさぼる領民たちと一緒です。

 

話は最終的に、国が滅ぶか百鬼丸が滅ぶかの二者択一の状況に追い込まれます。

それでも百鬼丸の決意は変わりません。

鬼神を倒して奪われたものを取り返す!

 

私も百鬼丸と同じことをした思いです。