今日は、トラウマケアや自己成長のために気づいたことを心理学を交えてつづります。
心理療法の一派TA・交流分析には、禁止令という考えがあります。
生き残っていくために自分自身に下す「してはならないこと」についての命令です。
私はこの命令をたくさん持っているのですが、なかでも私を一番ひどく縛り付けていたのは、
「隠せ!」でした。
何を?
自分自身を!
自分に関することを!
つまり自分を人目から隠せ! という命令です。
※究極自分自身にも
この命令に従う際の具体的な行動としては、
姿を隠せ、声を隠せ、思いを隠せ、表情を隠せ、行動を隠せ、本音を隠せ・・・でした。
命令の意図としては、
本音や本心や本当の姿を隠して、自分を守れ!
です。
この命令を下したのは幼い頃だったのですが、以来私は人目を気にして、(本音が)見つからないように生きてきました。
そのために、ずいぶんと生きづらい思いをしてきました。
一例を挙げると、車の運転がとてもとても嫌なことが挙げられます。
それは、車の運転が下手だからというのではなく、車を運転して路上を走るのが嫌なんです。誰もいない平原ならむしろ楽しい。
一方で、原付バイクで籠城を走るのならぜんぜんOKなので、昔から不思議でした。
このことについて、
禁止令「隠せ!」
との関連について考えてみたら、面白いことになりました。
車が路上走行するにははっきり自己主張しないとなりません。ウィンカーをつけたり、車線の変更の合図を事前にしっかりしたり、どの駐車スペースをめがけているのかとか。自己主張のオンパレードです。
これが嫌だったんです。
そう、自分を隠せないから!
他に例を挙げると、
音楽は洋楽やサントラばかり聴いていたのですが、それは歌謡曲を毛嫌いしている親を意識して歌詞不明の楽曲を選んでいたからですし、
食べ物も小遣いもその他欲しいものは一切口にしませんでした。
つまり、
私は本音をまったく守秘して心の奥深くに隠していたのでした。
私はこうして、
世間とか神様仏様とかからも自分を隠しひっそりと生きる生き方を貫いてきました。
おかげで自分の本音が分からなくなるとても高い代償を払うことになりました。
この命令を下すことになった原因・根源を探れば、親に至ります。
命かけてでも隠さないとヤバかったのです。我が家では。
親の呪縛から解放されつつある現在、いたずらに自分を隠す必要もないことに気づき、
人生初の、のびのびとした心境で日々を暮らし始めています。