久しぶりに、自分の家族についての気づきをつづります。
一言でいうと、私の基準がおかしかったのです。まともじゃなかった。
という話です。
テレビや映画などの家庭内暴力シーンでは、それを目撃した家族が悲鳴を上げたり、泣きじゃくったり、暴力を止めるために仲裁に入ったりする姿をよく観ます。
でも、私はそんなことをした覚えはありません。
私は子どもの頃、姉が暴力を受ける光景を、我が家のいつもの出来事だと認識していました。
なぜなら、いつも暴力を浴びていたからです。
家族全員。特に姉が。
それがフツーだと思っていました。
だから、悲鳴を上げるでもなく、止めに入るでも暴力をやめてくれと懇願するでもなく、ただ、ことの成り行きをじっと見守っていました。
いつものこととして。
これまで、このことを思い出すたび、若干の罪悪感を持っていました。
なぜ、姉を助けなかったのか?
ところが最近気づいたのです。
そう言えば、姉も助けてくれなかったと。
ここに思い至って腑に落ちる結論に達しました。
我が家の子どもたちは、暴力を受けることが当たり前だと思っていたのです。
一般的な認識では、家庭に暴力があるのがおかしい。
でも、私たちは違いました。
そう、フツーとは基準が違っていた。おかしかったんです。
我が家の子どもたちは。
だから、自分たちが暴力を受けていることにとても寛容だったんです。
私たち子どもは、そんな基準で生きていました。
日常に暴力が織り込まれていると、こんなことになってしまいます。
間違った基準をもったまま大人になると、どのような事態が待ち受けているか想像に難くありません。
だから、
気づいたときに、誰でもいいので、誰かが、まっとうな基準を教えてやる必要があります。
もちろん、穏やかに。子どもを責めることなく。思いやりをもって。