NHKの番組「こころの時代」の、シリーズ「問われる宗教と”カルト”」では、宗教と嘘についても議論がありました。
「嘘も方便」とは古い言い伝えですが、私も宗教がつく嘘、詭弁まがいの独特のロジック(論理)にはとても苦労しました。
そこで、このあたりのことについて思うところをつづります。
【川島】島薗さんが嘘の問題を挙げましたよね。統一教会では、ついていい嘘と悪い嘘があるけれども、騙してでも献金をさせるのは、これはついていい嘘なんだと、その人はそのとき騙されたと思うかもしれないけど、やがて裁きの日にそれが功徳となって、最悪の地獄に行くところだったのが、少しいい地獄に入れるみたいな、そういうロジックですよね。ですから彼らに嘘ついちゃダメだよと言っても、これはもう救いのためには許される嘘なんだって、もう教え込まれているから通じないわけですよね。
番組本編では、上記書き起こしの前に(つまりVOL1①とVOL1②のあいだに)、「論点②社会体制と宗教」としてしばらく議論がありました。※書き起こしでは論点②は割愛されているようです。
本編動画VOL1の29分過ぎの釈氏の発言が印象に残りました。
※現在は、当該サイトの「動画」のタグのシリーズ「問われる宗教と”カルト”」前編②の2分50秒過ぎです。↓
氏は、宗教には、そもそも社会とは別の価値体系があって、だからこそ人は救われるという面があると指摘して「今苦しんでいるものこそ幸せである」「悪人こそが救われる」などの例を挙げて、世間的な価値とは別のものを提示できるからこそ宗教の存在意義があると言います。
それは例えば、「正しい嘘」です。
世間的には嘘はダメです。
でも、世間的な価値とは別物を提示する宗教界では正しく善い嘘があるのです。
それは、救いのための嘘です。
宗教では、結果的に、嘘をつかれた人が救われるのなら、それはいい嘘だと解釈されます。
このロジックによれば、
たとい騙されてそして搾取されてこの世で生活できなくなっても、それでこれまでの罪が消滅して、来世魂が幸福な世界にいけるのであれば、人を騙し世俗では搾取と言われる悪行ですら正しく善になります。
釈氏が指摘したように、宗教は、世間的な価値とは別のものを提示するし、そこに魅力があるのですが、それゆえに注意が必要だと思っています。
嘘は嘘です。
よくないことはよくないのです。
世間であっても宗教界であっても。
私はそう思います。