上記ホームページの記事を参照しています。
自分とはなんぞや?
ということは齢50オーバーになっても答えられない私です。
これまで、自分の生きづらさ現すワードにはいくつも出会ってきました。
アダルトチルドレン、発達障害、ひきこもり、虐待、小児期逆境体験、宗教2世・・・。
どれもがその時々に自分に一番フィットするワードであり、時を経るといささかズレが生じるワードたちでです。
そんな中で、今一番しっくりくるのは、複雑性PTSDで、
とりわけ、診断指標の1つの「脅威の高まり」というのがしっくりきます。
世界を脅威と感じているので、
日常的に、基本ビビっておどおどしていて、アタフタ落ち着きがなくて、人と安心して付き合えなず、ゆっくり温泉には入れず、夜も眠れず、夢見が悪く、間違いなく脅威のあった過去のことは思い出したくないし、フツーと違いすぎる過去を恥とすら思うし、恐さに震えるので未来は描けないしなのです。
そんな私が日常どんな風に脅威を感じているかというと、例えば、
昔から、車の運転が嫌なのですが、それも車の中に閉じ込められて、たくさん車が行き交う車道に放り込まれてる感覚だからなんです。
怯えた状態なので、余裕を持って運転なんかできません。
必死で安全運転に努めるので(※おかげで無事故です)、途方もなく疲弊します。
事ほどさように私にとっては、どこもが脅威の世界なのです。
ナラーティブについては先述しました。
私の半生を語るとき、一本筋が通らないことが問題だと書きました。
私は世界を脅威として生きてきた。
物騒ですが一本筋が通せたようです。
おかげで心は少し落ち着きました。