うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

自分は複雑性PTSDなんだと腑に落ちて希望を得たこと

psych.or.jp

上記ホームページの記事を参照しています。

 

自分とはなんぞや?

ということは齢50オーバーになっても答えられない私です。

 

これまで、自分の生きづらさ現すワードにはいくつも出会ってきました。

アダルトチルドレン発達障害、ひきこもり、虐待、小児期逆境体験、宗教2世・・・。

どれもがその時々に自分に一番フィットするワードであり、時を経るといささかズレが生じるワードたちでです。

 

そんな中で、今一番しっくりくるのは、複雑性PTSDで、

とりわけ、診断指標の1つの「脅威の高まり」というのがしっくりきます。

 

世界を脅威と感じているので、

日常的に、基本ビビっておどおどしていて、アタフタ落ち着きがなくて、人と安心して付き合えなず、ゆっくり温泉には入れず、夜も眠れず、夢見が悪く、間違いなく脅威のあった過去のことは思い出したくないし、フツーと違いすぎる過去を恥とすら思うし、恐さに震えるので未来は描けないしなのです。

 

そんな私が日常どんな風に脅威を感じているかというと、例えば、

昔から、車の運転が嫌なのですが、それも車の中に閉じ込められて、たくさん車が行き交う車道に放り込まれてる感覚だからなんです。

怯えた状態なので、余裕を持って運転なんかできません。

必死で安全運転に努めるので(※おかげで無事故です)、途方もなく疲弊します。

 

事ほどさように私にとっては、どこもが脅威の世界なのです。

 

ナラーティブについては先述しました。

私の半生を語るとき、一本筋が通らないことが問題だと書きました。

 

私は世界を脅威として生きてきた。

 

物騒ですが一本筋が通せたようです。

おかげで心は少し落ち着きました。