うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

父の葬儀に出られなかったこと

今回は、父と母の葬儀に関することについての思いをつづりたいと思います。

 

父が他界したのは私がしっかりひきこもっている最中の二十数年前でしたが、私は葬儀に参列しませんでした。
親とのことで精神的にすっかり参っていて、父の業績を讃え慕う寺院関係者たちが一堂に会する場で、どういう顔をまとえばいいか分からなかったからです。

そこに集うのは、私と違って父を崇め、往時を偲び、別れを惜しみ、喪失を悲しむ人たちです。
その人たちの中にあって、どんな表情を作ればいいのでしょう。
私は、自分の気持ちに嘘をついて周囲の気持ちに同調して別れを悼むことはできませんでした。
その時はもう、自分を騙して社会的によろしくやっていく力はなかったのです。

 

なにより、その人たちの方が私より父を大事に見送ってくれると思いました。
故人は悲しむ人たちにこそ見送られるべきだと私は思っています。

ところが、

私の本音としては間違いなく安堵でした。

痛みではなく。残酷ながら。
だって苦悩の大きな種が一つなくなったんだもの。

こんな思いから、私は父の葬儀には参列しなかったのでした。

紆余曲折あったようですが、葬儀自体は盛大に執り行われました。

よかったです。

※これでも私、出棺の時は自室で合掌ぐらいはしたのですよ。

 

とはいえ、
もう1人いる!
との思いがすぐに去来し、私の気の緩みをたしなめました。
私の親は二人いたからです。
それから20数年、もう一人の親とともに私はひたすら忍耐と緊張感を抱いて生きてきました。