うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

母の葬儀はやれたこと

今回は、父の葬儀後20年母と歩み最終的になんとか見送れたたことについてつづります。

 

父なき後20数年、私はひたすら忍耐と緊張感を抱き続けて母と生きてきました。

そうして迎えた母の葬儀は2年前です。
老齢になり孤立していく母のそばにいて、
母のことは自分がやらねば! と強く思っていました。
父を母が看取り母は私が看取る。そんな思い、暗黙の家族の役割分担意識でした。

同時に、それがいかにの自分の心と体をさいなむのかも予想していました。
とりわけ死亡葬儀にまつわる作業が煩雑なのは覚悟していました。
だから、無理なく上手に生体エネルギーを配分(ストレス分散)せねばと心に決めていました。
母の葬儀をやり遂げる! の一心です。

 

順に作業を記せば、
数年にわたる看病と看取りから死亡診断書までの医療手続き。
からの、葬儀会社の手配と同時に縁遠くなっていた菩提寺(というか以前のわが家つまり父ときょうだいの骨がある寺院)との復縁。
通夜・葬儀・火葬・初七日まではぶっ通しです。ぶっ倒れる暇もありません。だから緊張しすぎないようトラウマ発作を起こさないよう十二分に注意しながらやりました。
お骨が家に帰ってきたら一段落ですが、その後も香典返しやベッドなどの看護用品の返却、役所への届出、医療費の精算、遺産の処理など山のような事務手続きをこなしました。

一月以上ず~っと、必要書類(物品)の収集と申請書の作成、関係者との打ち合わせが続きました。これらをテキパキとこなさないとストレスがたまって身体をむしばみます。
だから、次から次に処理していきました。
我ながらよくやったと思います。
ぶっ倒れずに。
関係する皆さんが優しく寄り添ってくれたおかげでなんとかできました。

 

これら行政上の手続きと並行して、私は信仰上の復興手続きもせねばなりませんでした。
死後の魂の行き場を落ち着かせたかったのです。

※ありていに言えばお墓問題です。私はこれまで一度も父の墓参りに行けていませんでした。

 

積年の課題だった菩提寺との復縁も成し(檀家登録)、四十九日、納骨(100か日)、翌年の初盆、1周忌を済ませ、今年無事に3回忌を迎えそうです。
親たちの信仰の姿勢とはまた違った私なりの信仰の仕方もつかみかけています。
※なんのことはないフツーの一般市民と同じ感じのお寺との付き合い方です

そして、2年かけてやってきた遺品の整理もようやく終わりが見えました。
一応、役目は終えたな。
二人の戒名が並んだ仏壇を前に、ふとそんな気持ちになります。
長いことかかりましたが、ようやっと両親への気持ちに整理がつきそうです。