うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

愛着はなく執着のみに縛られていたけどそれも終わりを迎えたこと

親子の愛着形成の話では、親は子どもの安全基地であり子どもの傷を癒やし活力を与える存在のはずなのですが、親は私の癒やしにはなりませんでした。ましてや活力なんて!

 

親と関わることは、私にとっては常にショッキングで傷を受けエネルギーが枯渇することでした。
だから、そのひどい状態からの回復は親と接触しないようにすることが重要でした。
私はいつも私一人で回復してきました。

 

そのためか親たちにとって私はいつも元気な状態だったのかもしれません。
だからかそんな私の苦労を一顧だにせず親たちは際限なく遠慮なくショックを与え続けてきました。
親たちは、私に八つ当たりし、暴力暴言し、自分たちが抱える厄介ごとを次から次に押しつけてきました。もちろん私の都合など一切考えずに。鬱憤を晴らす道具のように。

 

一人でせっかくショックから立ち直ってきたのに、不意にまた厄介ごとがやってくる。
私は、そんな思いで子どもの頃から大人になっても毎日暮らしていました。
平和というのは戦争と戦争の間だ。と言われることがあるそうです。
私にとって平穏とは厄介ごとが来ない間のことでした。

 

さて、夏苅氏が『心病む母が遺してくれたもの』(日本評論社)を著そうとしたのは、ずっと親から逃げていたという負い目、自由になりたいという欲求が原動力のように思えます。

 

私も同様でした。
私もひどい親たちから離れ距離を置いて十年ほど暮らしていました。
でもそこに安穏はなく、今しばらくは遠ざかっているだけで、いつか必ず厄介ごとはやってくる! という思いにさいなまれ続けた毎日でした。

逃げおおせない。
だからいっそのこと、三十歳を機に、わが家という面倒ごとの巣窟に突入したのでした。
親のことを片付けなければ未来はない。自分の人生はない。
と子どもの頃からうすうす感じていたのですが、その問題に果敢にも取り組もうとしたのです。

 

その結果数ヶ月もせずに見事に心を壊してひきこもることになったのですが、それから20数年、紆余曲折ありながら最終的にケリはついたように思えます。

やっと過去は終わりを迎えたようです。
これからが私の始まりです。
夏苅氏と同じく、五十代後半になってやっと思春期を迎え自分の人生を歩み出した気分の私なのでした。