うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

アルコール依存症家族当事者グループからの解放

20年ほど前にアルコール依存症家族(アダルトチルドレン)グループに在籍していたんですが、そこでの一番のひっかかりは「無力(パワーレス・Powerless)」でした。
当時からずーっと引っかかったままだったんですが、先日ふとひらめいたことがあり、なんだか自由になった気分なので、今回はこのことについてつづります。

 

グループの考えによると、
アルコール依存症者は、自分が神様ほどに力があると勘違いしているのだそうです。
だから、家族を支配する。時に暴力に及んでも。
一方家族も、自分にはアルコール依存症当事者(夫や妻や我が子など)をまっとうにできる力があるとこれまた勘違いしているのだそうです。
子どもは子どもで、親の飲酒をコントロールしたり、親の代わりに家族にまともに暮らしを提供したりできる力があると勘違いしているのだそうです。

ところが、実際にはそんな力は誰にもないので、「私たちは無力だ」と何度も何度も口にして、勘違いを正し、まっとうな考えにあらため、少しずつ現実を引き受けていくようにします。これがグループの基盤です。

でも、私にはこの考えはどうにも飲み込めませんでした。当時はできないことは私の未熟のせいなので私が成長すれば飲み込めると思っていました。ところが、20年経っても飲み込めなかったのです。しかも、違うんじゃね? の思いがますます強く確信的になってきました。


そして、あるとき(つい先日!)気づきました。
私たちに必要なのは無力感じゃなくて、有力感だ! と。

虐待環境で親の圧倒的な(暴)力によって生きる力すらなくし、自分を信じられなくなって大人になったアルコール依存症家庭で育った私たちには、
自分の力を取り戻すことこそ必要だったのです!
自分に自信を持つことこそ回復の証だったのです!

だのに! 
「私たちは無力だ」と繰り返し繰り返し言い聞かされてたなんて!
なんてこったぁっ! これじゃぁ無力なあの頃のままじゃないかぁ!
と自室の中心で小声でうめいてしまいました。
騙された(洗脳された)! との思いも少しだけあります。

実のところ、無力・パワーレスの考えのポイントは「私たちには相手を変える力はない」なので、この薫陶を受けた私はだいぶ前から人を変えることに夢中にならなくなっていました。つまり、人を変えることからあるいは人が負うべき責任を代わりに負うことから解放(Freedom)されていたのです。まちがいなくこれはグループで得た宝の一つです。

ところが、そのことが逆に私を「無力」に縛り付けてもいました。
今回の気づきで、そのことからも解放されました。
自分を解放したと言ってもいいでしょう。
これからは、グループの教えに縛られずともそこでかつて学んだよい知識をたよりにまっとうな人生を歩めそうな気もしています。
自信がついたのですね。

つまり私は、「無力」という言葉を通して「自分の力」を取り戻したのでした。

結局、アルコール依存症家族(アダルトチルドレン)グループは、私にとって最後まで気づきと解放と力を与えてくれる誇れる財産だったということを再確認し、喜びにひたりつつ旅立とうとているのでした。


ありがとう。ありがとう。これまでありがとう!