うちだのつづり

暮らしの中で気づいたことをちょこちょこつづっていくブログです。

戦中派の両親

このブログでは、両親の加害性をつまびらかにしているのですが、時期的に今日は戦争被害者だったという視点で思いをつづりたいと思います。

 

私の両親は、昭和一桁生まれなので、世界がきな臭い中で幼少期を過ごしました。特に、ローティーンの頃は直接戦争被害に遭っていました。

尋常小学校から国民学校に変わるなど学校の制度も戦争モードに変わって、授業も軍事教練があったと聞いています。ろくな学校生活を送らせてもらえなかったようです。

生活も、寄宿生として飛行機工場で働いていたと聞いています。裏山に避難した際に見た夜間空襲が不謹慎ながらとてもきれいだったという話や、食事に出された初めて見る黒いなにかがひじきだったという話をよくしていました。

人生が戦争一色だったようです。

 

そのため、親は「とにかく何も教わらなかった」と口にしていました。

学校生活も、勉強も、家庭生活も、料理の仕方も、社会生活も、世間常識も、人の優しさもすべてが欠乏していたようです。

 

こう考えると、私の親がいろんな物事を知らないのも不思議ではありません。

そのため私が、両親からこれといって足しになることを教えてもらっていないのもうなずけます。教えられていないことは教えられない理屈です。

だから、

戦時中の自分とはあまりにも違いすぎる昭和後期(1970~80年代)の私の生活に必要なことを察することができなかったのでしょう。

 

そんなことから、

もし、戦争がなかったら、両親はもう少し心豊かな人生を送れたのだろうか。

私の苦労も少しは減ったのだろうか?

そう思います。

すると、80年ほど前の戦争が少しだけ身近に感じられるのでした。