以前にも書きましたが、私の片親は、私の名前が大っ嫌いで私に向かっていつも私の名前をなじってました。私が名付けたのではないのに。
そんななので、名付け親であるもう片方の親に自分の名前の由来について詳しく聞けませんでした。
ところが最近、自分の名前の由来に思い当たることがあって、今日はそれについてつづりたいと思います。
私の名前は簡単な漢字二文字なのですが、読み・発音はとても変わっていてまず誰も読めない読み方なんです。これまで一度も初見で正しく発音できた人はいません。
どういうことかというと、
たとえば「昭一」という漢字表記だったら誰もが「しょういち」と読むはずですが、これを「たいち」と読むような感じなんです。
誰も読めん! のです。
無茶な読みを当てました私の親は。
ちなみに、私の名前が大っ嫌いな片親が嫌う理由はこの「読み」のせいでした。曰く「その読み方は縁起が悪い」らしいのです。
そんな中、最近読んだ本の中に、我が家の宗教の宗祖の書物に、私の漢字を使った表現が出てきているのを知りました。
繁栄するとか、繁盛するとかという意味で使われていました。
それで、漢字辞書を当たったら確かに、盛んになるという意味がありました。
もう一方の漢字については、大きく広くという意味でした。
こういうことなので、
私が大きく広く繁栄するようにという願いを込めて親は名付けたみたいです。
宗祖の書物からその発音を引いてきて、そしてとても縁起のいい名前にしてくれていたのでした。
なかなか片親らしいことです。
そんな苦労や心を踏みにじるように、もう片親は私の名前をけちょんけちょんにけなしてました。それをじっと耐えていた片親。なんともいじましい。
片親が死んで20数年、やっと少し思いがくめました。
以上、珍しく親についてのちょっとだけほんわかする話でした。