うちだのつづり

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お経はチャネリングの記録じゃないかと思った話 その3

前回の続きです。

ここで、当時の社会情勢に目を転じてみます。
大乗経典はお釈迦様が亡くなって500年ほど経った頃に編纂されだしたと言われています。
当時は、騒乱や災害や差別や犯罪など日常的で、悲劇はそこかしこで起きていたようです。
そんな救いようのない苦難の人生から助け出してほしいと心底願う人々はたくさんいたでしょう。※この点今と変わらないかも。

一方宗教界では、仏教に代わってヒンドゥー教などの影響が強く、輪廻転生や呪術的な考えが広く大衆に受け入れられていて、天罰や差別的な考えも浸透していたようです。

そして仏教界と言えば、出家僧が厳しい戒律を守った修行生活を通して成仏を目指していました。どうも一般の人々の成仏は叶わなかったようす。つまり仏教は民衆の期待に応えておらず、ゆえに新しい仏教が求められたようなのです。その一つが大乗仏教運動と思われます。

とすれば、差別なく全員が救われるという大乗の教えが起こるのも自然で、その教えの中に天罰や差別、呪術的な記載があるのも不思議ではありません。聴衆も説法者自身も社会情勢の影響を受けているからです。

そもそも、仏教は無差別成仏の考えなので原点回帰と言えそうですが、ところが当時大乗仏教は新参者であり、お釈迦様の時代から続く守旧派からなかなかの迫害に遭っていたようで、大乗派の人たちはそれに耐えるために自己の疑いようのない正当性と神仏の絶対の庇護を必要としていたと考えられます。

でも、もうお釈迦様はこの世にいないので相談することはできません。500年前に亡くなられています。私たちは誰を頼りにすればいいのだろう? 煩悶は続いたと想像されます。
そのとき頼ったのが、チャネリングだったのです!

仏教は瞑想が基盤にあります。だからある意味瞑想状態でもあるチャネリングは容易に受け入れられたと思います。もちろん呪術が盛んな当時の社会情勢の影響は大きかったでしょう。

 

実は、このことにリンクする記述がお経にあります。
お経の最初の最初の言葉は「如是我聞(にょぜがもん)」だということです。
これは「かくのごとくわれききき」と訓じて、意味は「私はこのように聞きました」です。

これを今風に言えば「私はこのようにチャネリングしました」と思えるのです。

 

これまでのところを整理すると、大乗経典はお釈迦様が直接説いてはいないけれど、後世の仏教徒がお釈迦様に救いを求めていたところ、お釈迦様はじめたくさんの神仏とつながることができ(神仏の感得)、現代で言うチャネリング形式で教えを請うたところ、新しい正しい教えを頂いたので、それを説法しそして記録した。ということです。

※次回に続きます。