宗教2世の苦しみは、孤立・孤独の中で幸福をよそおっていることだと記しました。
一般的に、孤立・孤独の苦しみから救ってくれるのは宗教ですが、私にこれはあてはまりませんでした。
宗教が救いにならない。幸福のためにならない。これは宗教2世の大きな苦しみです。
今日は、このことについて記します。
宗教界において、宗教を体現している人(私の場合は親)を非難することは、宗教的な罰を受ける恐れがあります。
人知を超えた見えない恐ろしい力が、私の魂を罰するかもしれないのです。
守護神はときに恐ろしい鬼神となります。
子どもの私にとって、どれほど恐ろしかったことでしょう。
そのため私は、恐怖に突き動かされて宗教に従って、宗教を体現する親たちに従って生きてきました。
人間世界に居場所がなく、宗教の世界は生きた心地がしない。
私には、現実の人間世界にも宗教の世界にも救いがありませんでした。
こういうことから、
宗教2世の最大で最悪の問題は、魂のよりどころすらないことだと思います。
本当のことを口にすれば、魂が罰を受ける。
こんな状況なので、
私は私の心を閉じました。
鬼神に見つからないように封印したのです。
私が私のためにできることはこれぐらいしか思いつきませんでした。
虐待児童の口は重いものです。なかなか家庭内の体験を口にしません。
恥の気持ちがあるからと言われていますが、そもそも言葉にできていないからだと私は思っています。
とても恐ろしいことが起きそうだったので、自分の体験や自分の気持ちを言葉にすることを拒否していたからです。
今こうして、半世紀ほど前の体験や気持ちを少しだけ言葉にできるようになったのは、喜ばしいことでしょう。
果たして、
近ごろ改めて宗教書をひもとけば、そこには喜びの言葉しかありませんでした。
私に縁のあった宗教は恐ろしいものではなく、
何があってもどんな人も見捨てずいつも寄り添って、私たちが安寧が得られるよう、ひたすら心を砕いて導いてくれるものでした。
今私は、親の影響から離れて改めて宗教とつながり、魂の安らぎを得た思いがしています。
やっと、魂のよりどころを見つけた感じです。